これは、私たちがいま作っている一つのものについて、作りながら綴っていく連載のはじまりです。題材は、AIの店員と、その店員が読む「あなたの記録」。すでに メタバースの店に、話せる店員を置いた や 自分の酒の記録を持ち歩く で断片的に触れてきましたが、ここからは「どういう順で、何を考えて作っているのか」を一段ずつ追っていきます。その最初の回として今日は、そもそもなぜこれを作るのか、最終的にどんな世界にしたいのか、という話をさせてください。技術の細かい話はほとんどしません。まずは、出発点にある考えだけを。
飲んだ酒の記録は、いつのまにか「店のもの」になっている
行きつけの店ができる、というのは気持ちのいいことです。扉を開けると「いつものでいいですか」と言ってもらえる。前に何を飲んで、辛口が好きで、これは苦手で——そういうことを、向こうが覚えていてくれる。気の利いた接客というのは、たいてい「相手を覚えている」ことから始まります。
ところが、その「覚えていてくれた記録」は、よく考えると自分の手元には残っていません。それはその店のノートの中、あるいはどこかのアプリのデータベースの中にあって、あなた自身は持っていない。店を変えれば、また一から「私はこういう好みで」と伝え直すことになる。せっかく積み上げてきた、あなた自身の飲み方の歴史なのに、です。
私たちはここに引っかかりました。飲んだ酒の記録も、何が好きかという傾向も、本当はあなた自身のものであっていいはずだ、と。預けた先のものになってしまうのではなく、あなたが持ち歩けて、行く先々で差し出せる。そういう形にできないか。これが、すべての出発点でした。
一冊の手帳のように持ち歩ける「個人の酒の説明書」
そこで考えたのが、飲んだ酒の履歴と好みを、特定の店やアプリに縛りつけない、持ち運べる一つの形にまとめておく、という発想です。私たちはこれを「個人の酒の説明書」と呼んでいます。一冊の手帳のようなもの、と言ってもいいかもしれません。
新しい店に入る。手帳をそっと差し出す。すると店員は、初めての客であっても、すぐにあなたの好みを汲んでくれる——「他のお店では、こういうのを好んで飲まれているんですね。でしたら、うちのこれはいかがでしょう」。常連でなくても、最初から常連のように扱ってもらえる。その手帳は、あなたが店を変えるたびに育っていく、あなただけの記録になります。
その手帳を読んで接客するのが「AIの店員」
では、その手帳を実際に読んで一杯を勧めてくれるのは誰か。私たちは、それをAIの店員にやらせようとしています。
すでに自社のメタバース rezona の中で、クリックすると会話が始まり、その日の気分を聞いて一杯を選んでくれる店員が本番で動いています(その作り方は 前の記事 に書きました)。今はまだ「その場の気分」を聞いて選ぶところまでですが、ここに「あなたの手帳」が加われば、店員はあなたの過去の好みまで汲んで接客できるようになります。気分と履歴、その両方を見て一杯を選ぶ。それが私たちの考える、気の利いた接客のかたちです。
大事にしているのは、ここでも「任せきりにしない」ことです。会話の段取りはこちらが決め、AIには言葉の温度の部分だけを担ってもらう。なぜそう分けたのかは前の記事に譲りますが、AIに何でも丸投げするのではなく、人が握るべき手綱は握ったまま、というのが私たちの構えです。
目指すのは、対応する店ならどこでも使える世界
ここからが、いちばん語りたいことです。
この手帳とAI店員を、私たちは rezona だけのために作っているのではありません。目指しているのは、その手帳を読み取れる店であれば、どこでも使える世界です。rezona の中の店はもちろん、提携してくださる実在のバーや居酒屋、別のメタバースの店——所属の違いを越えて、あなたの一冊の手帳が、どこでも通用する。私たちはこれを cross-store(店をまたいで使える)と呼んでいます。
店ごとにバラバラの会員アプリを何個も持つのではなく、手帳は一冊だけ。それがあなたのものとして持ち運べて、行く店ごとに「ここにはここまで見せる」と自分で決めて差し出せる。店の側から見れば、来たばかりのお客さんの好みが、その瞬間に分かる。飲み手にとっても店にとっても、初対面の壁が少しだけ低くなる。そういう世界です。
実は、ここに至る順番も決めています。まず自分たちの rezona の中で、本物として動かして確かめる。次に、すでにメニューを提供してくださっている協力的な実在のお店や、別のメタバースへ。そして将来は、リアルのお店のカウンターでも。いきなり大きく広げるのではなく、自分たちの場で確かめてから一歩ずつ外へ、という進め方です。
「境界を越える体験を設計する」ということ
私たち Boundary LAB は「境界を越える体験を設計する」ことを掲げている会社です。この手帳の構想は、まさにその言葉そのものだと思っています。
店と店のあいだの境界。メタバースと現実の境界。そして「自分のデータなのに自分の手元にない」という、預け先と本人のあいだの境界。それらを越えて、あなたの記録があなたのものとして、どこでも生きる。一杯のお酒の好みという、ささやかだけれど確かに「あなたらしさ」であるものを、境界の向こう側へ持っていけるようにする。大げさに聞こえるかもしれませんが、私たちは本気でそこを目指しています。
この連載でこれから書くこと
ここまでは、目指している世界の話でした。けれど現実は、まだそこには遠く及びません。
正直に言えば、いま動いているのは「気分を聞いて一杯を選ぶ店員」までで、手帳を持ち歩く仕組みも、それを安全に守る仕組みも、店をまたいで使う仕組みも、これから作るところです。きれいなビジョンほど、作り始めると地味な壁にぶつかります。
この連載では、その作成過程を、うまくいったところも、つまずいたところも含めて、一段ずつ綴っていくつもりです。次回はさっそく、最初の一歩でつまずいた話を書きます。記録を入れる「器」として実際にNFTというものを発行してみたら、中身が思っていたものと違っていた——そこからどう考え直したか、という回です。
立っているだけだった人形に口を与えたときと同じように、この手帳も、自分たちの場の中で少しずつ形にしていきます。どうか、その途中経過にお付き合いください。
Boundary LAB は「境界を越える体験を設計する」会社です。自社ホスティングのメタバース rezona を運営しています。空間づくりのご相談は X(@shuuuuuuvuu)の DM へ。私たちについては Boundary LAB について もどうぞ。