先に、空間の中の支払いと、プログラムで扱えるお金について書きました(プログラムで扱える円は、「継続的なお金」をどう変えるのか)。あの記事では、円に連動するステーブルコインのような「振る舞いを持ったお金」が、続いていく支払いをどう変えうるか、という話をしました。
今日はもう一歩進めて、「空間の“中で経済そのものを回す”」という話をしたいと思います。支払いという一本の線ではなく、価値が発行され、巡り、誰かの手に渡り、また戻ってくる——そういう循環の全体を、空間の中にどうつくるのか。これは想像以上に難しく、そして面白い問いです。
「お金が使える」と「経済が回る」は別のこと
まず区別しておきたいのは、空間の中で「お金が使える」ことと、空間の中で「経済が回っている」ことは、まったく別だということです。
商品にボタンを付けて、押せば購入できる。これは「お金が使える」状態です。実装するだけなら、そう難しくありません。けれど、それだけでは経済とは呼べない。経済というのは、価値が一方向に消費されていくのではなく、人から人へ巡り、形を変えながら循環していく状態を指すからです。
誰かが何かを作り、別の誰かがそれに対価を払い、受け取った側がまた別の誰かに払い、その流れがぐるぐると続いていく。場の中に「稼ぎ手」と「使い手」が同時に存在し、しかもそれが固定されず、立場が入れ替わっていく。そういう循環が生まれて初めて、空間は「経済が回る場所」になります。ボタンを置くことと、循環を起こすことの間には、深い溝があります。
私たちが向き合っている問い
私たちは「ギフテラの町」という取り組みを持っています。これは、Hubs Foundation——ブラウザだけで入れる、オープンソースのWebメタバース基盤——をベースにした、いわば「経済圏としての空間」をつくる試みです。空間の中で、人と人がやり取りし、ものを売り買いし、ときに贈り合う。そういう場を設計しようとしています。
この取り組みを通じて、私たちが繰り返し突き当たるのが、次の四つの問いです。
誰が価値を発行するのか。その価値は何に裏づけられているのか。それはどう循環するのか。そして、どこで現実のお金とつながるのか。
言葉にすると素朴に見えますが、この四つはどれも、答えを誤ると経済そのものが立ち行かなくなる急所です。順に見ていきます。
誰が発行し、何に裏づけられるのか
空間の中で使える「お金のようなもの」——ここでは仮にトークン(場の中で価値を表すしるし、と思ってください)と呼びます——をつくるとき、最初に決めなければならないのは、それを誰が発行するのか、ということです。
運営である私たちが発行するなら、その価値は私たちへの信頼に裏づけられます。けれど、運営が好きなだけ発行できてしまうなら、それはいくらでも刷れるお金と同じで、すぐに値打ちを失います。逆に、発行量を厳しく絞れば、今度は場の中でお金が足りなくなり、誰も動けなくなる。多すぎても少なすぎても、経済はうまく回りません。
そして「何に裏づけられているか」という問いは、もっと根が深い。場の中だけで通用するしるしは、結局のところ「みんながそれに価値があると信じているあいだだけ」価値を持ちます。その信頼が揺らいだ瞬間に、しるしはただの数字に戻ってしまう。だから発行の設計とは、技術の話である以前に、信頼をどう積み、どう守るかという話なのです。
閉じた通貨は、なぜ退屈になりやすいのか
ここに、空間内経済の根本的なジレンマがあります。
場の中だけで完結する通貨——外に持ち出せず、現実のお金とも交換できないしるし——は、設計としては安全です。規制の問題も起きにくいし、運営が全体をコントロールできる。けれど、その安全さと引き換えに、閉じた通貨はしばしば退屈になります。
なぜなら、外につながっていない価値は、最後は「そのゲームの中だけのポイント」にしかならないからです。どれだけ貯めても、場を一歩出れば意味を失う。そう分かっていると、人は本気でそれを稼ごうとも、惜しんで使おうともしなくなる。経済を回す原動力である「これは本当に価値がある」という手応えが、生まれにくいのです。
私たちは、別のガワでもこの問題を実地で確かめています。Minecraftというゲームの中に、個人向けのサバイバル経済サーバーをつくり、採掘や討伐や納品といった営みの中で価値が回る様子を観察しています(Minecraftで個人サバイバル経済鯖をつくった話)。ガワがWebメタバースであれMinecraftであれ、「閉じた中で価値をどう生き生きと回すか」という悩みは、驚くほど共通しています。
現実とつなぐと、別の難しさが立ち上がる
では、閉じた通貨を外に開けばいいのか。現実のお金と交換できるようにすれば、価値に手応えが生まれるのではないか。
そのとおりです。けれど、外につないだ瞬間に、まったく別の種類の難しさが立ち上がります。
場の中のしるしが現実の円と行き来できるようになると、それはもう「ゲームのポイント」ではなく「お金そのもの」に近づきます。そうなれば、お金を扱う以上のルール——資金移動や換金にまつわる規制、利用者の保護、不正な資金の流入をどう防ぐか——が、いきなり全部のしかかってくる。安全だった閉じた箱を開けた途端、現実社会の重たい論点が室内に流れ込んでくるのです。
つまり、空間内経済の設計とは、「閉じれば退屈、開けば重い」という二つの極のあいだで、ちょうどいい開き加減を探し続けることでもあります。完全に閉じるのでも、完全に開くのでもなく、どこに半分開いた窓を置くか。その窓の位置こそが、設計者の腕の見せどころだと感じています。
なめらかな境界、という希望
ここで、前回書いたステーブルコインの話が、もう一度効いてきます。
円に連動し、プログラムで扱えるお金が整っていくと、「閉じた空間内のしるし」と「現実の円」のあいだの境界が、これまでより少しなめらかになるかもしれません。完全に開け放つのでも、固く閉じるのでもなく、必要なときに必要な分だけ、自然に行き来できる窓。そういうものが技術的に手の届く範囲に入ってきつつある——あくまで可能性として、そう感じています。
もしその窓がなめらかになれば、空間の中の自然な価値の流れ——気に入った相手へのチップ、場を盛り上げてくれた人への投げ銭、ちょっとした入場料、店での売り買い、そして作り手への還元——を、もっと摩擦なく設計できるかもしれません。「払いたい」と思った気持ちと、実際にお金が動くこととの間にある引っかかりを、ひとつずつ取り除いていく。それが、空間の中の経済を生き生きさせる地味だけれど大事な仕事だと思っています。
ただ、これはまだ構想の段階の話です。技術も規制も動いている最中で、確かなことは言えません。私たちは大きな旗を振るのではなく、自分たちの手の届く小さな場で、慎重に試しながら確かめていくつもりです。
私たちが回したいのは、価値だけではない
最後に、少しだけ思想的な話を。
「経済を回す」と言うと、お金を回すことばかりに目が行きがちです。けれど、私たちが本当に空間の中で回したいのは、お金そのものというより、人と人の関係や、作り手への敬意や、場への愛着といった、お金が運んでいる中身のほうです。
チップは数字のやり取りである前に「ありがとう」の表現であり、入場料は対価である前に「この場に居たい」という意思表示です。お金はその気持ちを運ぶ乗り物にすぎません。私たちが摩擦をなくしたいのは、お金を増やすためではなく、その気持ちが滞りなく相手に届くようにするためです。
私たちは「境界を越える体験を設計する」会社です。仮想と現実、遊びとお金、閉じた世界と開いた経済——そのあいだにはいくつもの境界があり、どれも雑に取り払えば事故を起こすし、固く閉ざせば体験を縮ませます。大事なのは、なくすことではなく、なめらかにすること。価値が、そして価値の運ぶ気持ちが、境界をすっと越えていける場を、私たちは焦らず設計していきたいと思っています。
Boundary LAB は「境界を越える体験を設計する」会社です。自社ホスティングのメタバース rezona を運営しています。空間づくりのご相談は X(@shuuuuuuvuu)の DM へ。私たちについては Boundary LAB について もどうぞ。