私たちはふだん、3Dのメタバース空間の体験設計を仕事にしています。けれど今回書きたいのは、その本筋とは少し違う場所での話です。マインクラフトという、世界中で遊ばれている積み木のようなゲームの中に、お金が回る小さな経済を手作りしてみました。「boundary-colosseum」と名づけたその場は、いま現実のサーバー上で動き続けています。
なぜ畑違いに見えることをやったのか。結論を先に書いてしまうと、私たちが本当に向き合いたい問いは、3Dであるかどうかとは関係がないと気づいたからです。人が集まる場所で、価値とやりがいをどう循環させるか。その問いは、ガワが変わっても、根っこのところで何も変わりませんでした。
まず、マインクラフトの話を少しだけ
マインクラフトを知らない方のために、ひとことだけ。これは、ブロックを積んだり壊したりして、自分の世界を作っていくゲームです。広い大地を歩き回り、夜になると現れる魔物と戦い、地面を掘って資源を集める。決まったゴールがあるわけではなく、何をして遊ぶかは遊ぶ人に委ねられています。
そのゲームは、自分専用の「サーバー」、つまり遊び場を一つ立てて、そこに人を招くことができます。私たちはこの遊び場を一つ用意し、ただ遊ぶだけの場所ではなく、お金のようなものが流れる小さな社会に仕立ててみることにしました。とはいえ本物のお金ではありません。ゲームの中だけで通じる「ポイント」です。
貯めて、使って、また貯める。その輪を世界の中に作る
経済と呼べるものになるには、お金が一方通行で消えていくだけでは足りません。貯まり、使い、また貯まる。その輪がぐるぐると回り続けて、初めて場に活気が生まれます。私たちが手作りしたのは、まさにこの輪でした。
ポイントが貯まる入り口は二つ用意しました。一つは、夜に現れる魔物を倒すこと。もう一つは、地面を掘って資源を集めること。戦うのが好きな人も、黙々と掘るのが好きな人も、それぞれの遊び方でポイントが貯まっていきます。
貯まったポイントの使い道も作りました。道具や品物を買える商店、自分の装備をより強くする「強化」の購入。マインクラフトには道具に特別な力を付け足す仕組みがあり、それを買えるようにしました。さらに、一定の条件を満たすと「称号」がもらえる仕組みや、「この魔物を倒してきて」「これだけ掘ってきて」「この品物を納めてきて」といった日々の課題も置きました。課題をこなせばまたポイントが入り、その輪が回り続ける。
加えて、世界の各所に「ワープ拠点」を設けました。看板を操作すると、遠く離れた場所へ一足飛びに移動できる行き先が解放されていく。広い世界を歩き回る労力を、貯めたものと引き換えに縮めていける。貯める動機と、使う喜びと、また貯めたくなる仕掛けを、ゲームの中にひとつずつ手で組んでいきました。
死んでも、全部は失わせない
経済を回すうえで、私たちが一つだけ強くこだわったことがあります。それは、失敗したときの救済です。
このゲームでは、魔物にやられたり高い場所から落ちたりすると、キャラクターが一度倒れます。サーバーの設定によっては、そのとき手に持っていたものをすべて失う、という厳しい仕組みにもできます。けれど私たちは、そうはしませんでした。倒れても、積み上げてきたものが一瞬ですべて消えてしまうことのないように、救済の余地を残したのです。
これは、ただ優しくしたかったというより、場が続いていくための判断でした。一度の失敗ですべてを失う場所では、人は怖くて挑戦できなくなります。せっかく貯めたものが恐怖の対象になってしまっては、輪は回りません。失っても致命傷にはならない。だからまた前に出られる。挑戦と回復のあいだに、ほどよい余白を残しておくこと。これは3Dの空間を設計するときにも、いつも考えていることでした。
メニュー画面は自由が効かない。だから看板を世界に置いた
ここからは、作っていて一番面白かった、技術的なつまずきの話です。
ふつう、お店で買い物をする画面と聞くと、商品がずらりと並んだ自由なメニューを思い浮かべるでしょう。ところがマインクラフトには、その自由がありません。ゲームの中で開ける「箱」のメニュー画面は、並べられる枠の数に上限があります。画面の外にボタンを置くこともできない。私たちが慣れ親しんだ、画面を自由にデザインする作法が、ここでは通用しないのです。
最初は、その狭さに戸惑いました。けれど、ないものを嘆いても仕方ありません。そこで考え方を切り替えました。画面の中でやりくりするのをあきらめて、世界そのものを操作画面にしてしまえばいい。
具体的には、「看板」を世界の中に物理的に立てました。商店の前に商品の看板を置く。強化の購入は、それ専用の看板を叩く。ワープ先も看板で解放する。さらに、しゃがむという動作に別の操作を割り当てる、といった工夫も加えました。狭い画面に押し込めるのではなく、世界を歩いて、看板の前に立ち、しゃがんで操作する。その環境にもともとある所作を、そのまま操作の作法に変えていったのです。
制約は、最初は壁に見えます。けれど壁の形をよく見ると、その環境ならではの、別の解き方が見えてくる。これは今回いちばん手応えのあった発見でした。
コードのレビューを通っても、実機では空振りする
もう一つ、痛い思いをして学んだことがあります。それは、画面まわりの作りは、設計図の上では正しく見えても、実際に遊んでみると空振りすることが多い、ということです。
私たちはふだん、書いたものをほかの目で点検してから世に出します。今回も、画面を操作する部分のコードは、その点検をきちんと通っていました。理屈の上では、ボタンは正しく並び、押せば正しく反応するはずでした。ところが、いざ自分でゲームに入って看板を叩いてみると、思ったように動かない。点検では見えなかったずれが、実機ではいくつも顔を出したのです。
理由は単純でした。遊ぶ人が見ている画面の手触りは、コードを読むだけでは分からないのです。狭い枠の中で何が表示でき、何が表示できないか。しゃがんだときに本当に意図どおり反応するか。それは、自分でその世界に入り、自分の手で触ってみるまで確かめようがありません。
そこから私たちは、作法を一つ変えました。何かを作り始める前に、まず「その環境で何ができて、何ができないか」を先に調べる。狭い画面の上限はいくつなのか。世界に置ける操作には何があるのか。できることの輪郭を先に知っておけば、できないものを前提にした空振りを減らせます。触ってみて初めて分かることがある、という当たり前を、痛みとともに体に刻んだ実験でした。
ガワが変わっても、根っこの問いは同じ
ここまで読んで、なぜメタバースの会社がマインクラフトを、と思われたかもしれません。けれど私たちにとって、これは寄り道ではありませんでした。
私たちは「境界を越える体験を設計する」ことを掲げています。その「体験」は、3Dの空間という一つの形に縛られるものではないはずだ、と前々から感じていました。マインクラフトは、すでに世界中の人が集まって遊んでいる場所です。新しく場を作らなくても、人はもうそこにいる。ならば、私たちが考えてきた経済や体験の設計を、その「すでに人がいる場」に持ち込んだらどうなるか。それを確かめたかったのです。
実際にやってみて分かったのは、ガワがマインクラフトに変わっても、向き合う問いは驚くほど同じだった、ということでした。人が集まる場所で、何をすれば価値が貯まり、それをどう使わせ、また貯めたくなる輪をどう回すか。失敗した人をどう立ち直らせ、長く居続けてもらうか。これらは、私たちが3Dのメタバースで考えてきたことと、根っこで一本につながっています。
この感覚は、私たちが別のところで書いた、メタバースの中にお金や価値が回る経済をつくる話と、地続きのものです。ガワは違っても、問いは同じ。むしろガワを一つ変えてみたからこそ、形に依らない根っこの部分が、くっきりと見えてきたように思います。
特定の技術や、誰かが用意した一つのプラットフォームに、私たちは縛られないでいたい。人が集まる場所がそこにあるなら、ガワがマインクラフトであろうと、自分たちの3D空間であろうと、同じ問いを持ち込んで設計してみる。boundary-colosseum は、その姿勢を自分たちで確かめるための、小さな実験場でした。これからも、ガワを選ばずに、根っこの問いを問い続けていくつもりです。
Boundary LAB は「境界を越える体験を設計する」会社です。自社ホスティングのメタバース rezona を運営しています。空間づくりのご相談は X(@shuuuuuuvuu)の DM へ。私たちについては Boundary LAB について もどうぞ。